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理解とは?/ ノーローン

[ 406] 予防接種を理解するために
[引用サイト]  http://www.iijnet.or.jp/SYPIS/Vaccination.html

★ご注意! この情報は、臨床医、科学者の立場からDr.神津がご紹介するものです。出来るだけ偏向しない、現時点で最も良識的かつ良質の情報を発信しているつもりですが、他の多くの意見を参考に皆さんにも一緒に考えていただくことが大切です。
人間が生活しているこの地球という環境は、人間だけが生きているものではありません。勿論、牛や馬、ライオンや鼠などの哺乳類から、へびやとかげなどの爬虫類、鳥類や魚類、昆虫やその他多くの植物など、目に見えるものだけでも多くの生き物がいます。しかし、それだけではありません。実際には我々の目に見えなくても、この地球上には多くの微生物が存在し、それらとともに共生している、というのが正しいのです。
太古の昔、地球上に簡単な"生命"が生まれ、次第に酸素をエネルギーとして利用することが出来るようになってから、ミトコンドリアの表面にリボゾームが付着し、この"もの"の働きで活発な運動が可能になりました。これは地球上の生命にとって革命的なことでした。そしてなおかつ今でも、今、我々の一つ一つの細胞を調べてみると、この原始的な"もの"がしっかりと細胞のエネルギー工場の主役として働いているのに驚きます。
また、人体の表面には、皮膚や消化管粘膜に接して、ぶどう球菌等のいろいろな菌が存在し、中には人間の役に立つ菌として共生しているものすらあります。腸の中には、多くの酵母様菌や大腸菌などの細菌がいて、食べ物を腐敗・消化・ガス発生・糞作りなど、腸管の機能と密接に絡み合っています。そして、大便の1/3がこうした菌の塊なのだと知らされると、我々はあらためて驚いてしまうのです。また、自分では増殖することが出来ず、生き物の細胞のDNAやRNAといった蛋白製造工場を占拠して、自分のレプリカ(複製)を作る、「ウィルス」なるものが常在することもあります。例えば、夏や冬の強い紫外線を浴びたり、体力が弱ったときに、唇にぷつぷつと水疱が出来ることを経験しますが、これは水痘・単純ヘルペスウィルスがたくさん入った水疱なのです。このウィルスは、普段は神経細胞の中や周辺にいて、時折こうして皮膚の表面に顔を出してきます。動植物の生命に終わりが来れば、多くの腐敗菌が組織や細胞の解体を手伝い、地球の自然の営みに帰っていく、というプロセスが繰り返されていて、つまり、我々は地球という生命の中で、多くの他の生命と同様、細菌やウィルスと一緒に生きている、ということを忘れてはなりません。
前項で、人体の表面(皮膚や消化管粘膜)に接して微生物がいることを説明しました。その微生物と一緒に生きていることも説明しました。ですから、我々がこれらの微生物に対する何の防御機構も持っていなかったら、ここまで人間が地球上に溢れることはなかったでしょう。生物は、外界に対して弱ければ弱いほど沢山の子孫を残そうとします。魚や亀が沢山産卵するのも、昆虫の卵が無数に生まれるのもそうですし、乳児の死亡率が高い国や地方で子供を多産するのも、同様の現象といってよいでしょう。しかし、細菌やウィルスの側から見れば、人間でも馬でも渡り鳥でもどうでもよいことで、地球生命としての権利を行使しているだけだ、と開き直るに違いありません。しかし、人間の側から見れば、「彼等」がずかずかと人体の内環境に入ってきて(これを感染といいます)、苦痛を与えて、しかも死に至らしめることなど、種として到底許すことは出来ないのです。
回って監視)し、一旦それを見つけたら、これに標的を撃ち付け、包囲し、貧食し、溶かし、破壊し、外へ放り出すか、または、それ以後は一生「札付き」として監視(免疫機構の発動)し、再度入ってきたら、直ちに排除する軍備(免疫グロブリン)を備えておく(免疫の獲得)ことにしたわけです。
しかし、常にこの機構がうまく行くとは限らないのが、現実です。それが生身の人間です。人によっては、この防御機構がとても弱い人や、破綻してしまった人や、極度に反応が過剰になってしまう人がいます。小さい子供や、老人、あるいは成人病や癌や体力を消耗する病気にかかっている人などが良い例です。こうした人間の場合、病原性の強い菌やウィルスが多量に体内に入ってくる(感染する)と、それによって体が占拠され、壊され、病気になり、結果として死んでしまうことになります。20世紀まで我々が病と戦って来た歴史は、ほとんど感染症との戦いだった、といってもいい過ぎではありません。そこで、考えられたのが、「ワクチン」でした。ほんの少量の病原体を体内環境に入れてやることにより、病気を起こさせないで「免疫機構」を作り上げる、という巧妙なやり方がそれです。その後に菌を殺す(殺菌)、あるいは病原性を著しく減少させる(静菌)薬剤が次々と発見された後で、これらの薬剤を用いて「半殺し状態」にした病原体を投与するやり方が発達しました。こうして世界中で広く行われるようになったのが、集団的予防接種でした。そして、この予防接種と、抗生物質、抗菌剤、抗真菌剤、抗ウィルス剤の開発、医学の進歩、公衆衛生観念や食品保存方法や調理方法の進歩などの生活レベルの向上などにより感染症は次々と克服されて行きました。
感染症が猛威を奮っていた時に、ワクチンは救世主でした。この卓越した医療技術により、多くの命が救われました。特に、ある集団の構成員の殆どがワクチンを接種することにより、その集団から病原菌が追い払われる、という相乗効果も得られました。しかし、いかに半殺しにした状態とはいえ、たまたまそれによって発症する場合があり、その場合には、その周りの人が同時にワクチンを接種してあることによって得られた免疫機構で、それ以上の感染者を出さないですむという、シールド効果があり、これが「集団」で予防接種を行う意義だったのです。
しかしながら、感染症が克服されて行く段階で、いくつかの問題点も浮かび上がってきました。その一つは、ワクチンそのものの製造に関する問題としての「商品としての品質」で、初期には力価がばらついたり、混入すべきでないものが入っていたりしたことです。また、もう一つは、予防接種を行う際の医学管理の問題で、たまたま生じた副反応やアナフィラキシーショックに対する対応が十分でなかったり、経験不足のために、接種してはいけない人に接種してしまったために生じた、様々な後遺障害も起こりました。また、健康な子供や人に接種を「国」が義務付けた場合、もしそれが原因で発症したり、ショックなどの健康被害が出現した場合、「集団を守るために、一個人が犠牲になった」わけで、この犠牲者に対して、国がその個人の生涯の生活を保障する、という手厚い保護が加えられるべきです。しかし国は、ついこの間まで、その義務を怠ったっていたことなどが問題になりました。
現在の先進諸国では、これらの問題を克服するために、多くの努力を行っています。日本では、予防接種のガイドラインやパンフレットを配布したり、医学管理の徹底化を押し進めていますが、欧米諸国に比較して、その遵守や情報の開示に熱心とはいえない状況です。保障に関しても、犠牲者を手厚く保護するという「愛情」が伝わってこないやり方に、一般市民は怒りを覚えています。特に、予防接種の被害を最低限にしようとする努力は、ワクチンの開発やその接種方法の改善と呼応して是非進めていかなければなりません。そして、医学的見識とは関係のない「情緒的なワクチン反対運動」によって、再び日本が感染症大国に後戻りすることのないように気を付ける必要があります。無農薬野菜の調理に慣れない主婦が増えたことによって、寄生虫病の発症が増加しているのも一つの警鐘でしょう。そうさせないためには、ワクチンと予防接種に対する、国民の理解と協力なしには得られないことを国と地方自治体は認識し、すべての情報をinternet上に開示して、その審を問うくらいの姿勢が必要なのではないでしょうか。

 

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