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厳しいとは?/ ノーローン

[ 115] 喪男に厳しい藤子A先生 - 愚仮面
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/derorinman/20060719/1153301955

どこにでもいる喪男予備軍のサラリーマン・青井達夫(22歳)は、会社で完全にはぶられており、飲み会も「お前は来るな」といわれる毎日を過ごしていた。
狭いアパートに帰り、中島みゆきの「ひとり上手」を聞きながらボソボソとメシを食べていると、孤独に耐え切れず一人嗚咽してしまう。
と、そこに喪黒福造なるセールスマンが現れる。その名刺には「ココロのスキマ…お埋めします」と書かれている。
「高いビルがどんどんたつのに比例して孤独な人間もどんどん増えております。孤独な老人孤独な女性孤独な青年そして孤独な少年までも……わたしの仕事はこういった淋しい人たちに夢と希望を与えるステキなおともだちを紹介することなのです。例えばあなたには…」
ということで美女の写真を見せられた達夫は、まんま出会い系サイトなことを言う喪黒にとまどいながらも、テープレコーダーに録音された彼女の声とお話したり、彼女と自分とのコラ写真をつくってもらったりして楽しむ。
心臓を高鳴らせて公園に向かうと、ベンチに彼女が座っている。辛抱たまらずに一気に駆け寄ってその手をとったが、違和感に気づく。
ということで「笑ゥせぇるすまん」より第一話「ともだち屋」を紹介したのですが、A先生の喪男への厳しさがお分かりいただけましたでしょうか。
「喪男がモテそうになるなんざ、それは絶対に悪意ある人間による美人局じゃー!」というA先生の透徹した現実認識は、やはり伊達に藤子不二雄でないなと思いますね。
夏の葬列なんかをみていると、一般人やオタクだけでなく、喪男もまた藤子不二雄ならF先生の方が好きなようにみえます。ネタにしやすいからでしょうが、F先生の作品の根底に流れる喪スピリットがなにかを感じさせるのでしょう。
しかしF先生の作品は基本的に救いがあり、黒い話でもコミカルに描くので口当たりが良いため人気があるようですね。
確かにA先生は口当たり最悪というか、「カカオ99%チョコ」くらい食う人を選ぶ部分があるので万人にはオススメできない。
しかしながら、ハッピーエンドで終わる作品を見るだけで胸がムカムカしてしまいには涙が出てくる、喪な作品を読んでも主人公の喪男が女にちょっとモテるシーンがあるだけでリアリティを全く感じなくなるというような、相当疲れてる人には合うかもしれませんよ。
なにせA先生はそんじょそこらの喪男漫画家と違って、殆どの場合喪男を甘やかしませんからね!まあイケメンも大概甘やかさないんですが。
とにかくA先生は「喪男が良い目を見るわけないだろ!見るとしたらそれは絶対更なる不幸への序曲なんじゃー!」という強迫観念にとらわれているとしか思えないような作品を描くのでオススメです!
2006/07/19 22:08 蓮海先生の小説に「他人の幸せなんてイラっとするだけ」という一節がありましたが、物語においてハッピーエンドになる主人公に自分を重ね合わせて擬似的に幸せになるのと、蓮海先生のように救いのない話に共感するのとどちらが幸せなのでしょうね。どちらの道を選ぶかは、やはり自分のルサンチマンをどう昇華するかによるのでしょうか。
2006/07/20 23:18 >kuyukuyuさんどもです。>原作の「ブラック商会変奇郎」の主人公はもみ上げの発達したプロゴルファー猿みたいな顔あれ、そんなんでしたっけか。変奇郎はなぜかイキナリ満賀道雄が出てきてズコーとなった記憶ぐらいしかなくて…それで「変奇郎がイケメンだったから喪男を出すために満賀道雄を出したのだ」とか勝手に記憶を捏造してました、スイマセン(’A`)それはそうとありましたね、ジャニタレがやってたドラマ。>アニメは確かに「笑ゥせぇるすまん」だけど、漫画は「黒いせぇるすまん」だよう。「魔太郎がいく!」じゃなくて「魔太郎が来る!」もしくは「魔太郎が翔ぶ!」だよう。笑ゥせぇるすまんも変奇郎もジャングル黒べえも黒人差別に繋がるからタイトル変えたんですっけ。とりあえず家にある文庫版は「笑ゥ」だったんでそっちにしました。…魔太郎は普通にまちがえました(’A`)>ああ、こんな重箱の隅をつつくようなコトばっかするから、おたく人種は嫌われるんだ。判っているんだ。でもやるんだよ!ううむ、なんだかよくわからんが凄い自信じゃ!でもリチャード・ストールマンが「そういう精神がフリーソフトウェアと自由な社会を切り開いていくんじゃ」って言ってた!>fm2さん>物語においてハッピーエンドになる主人公に自分を重ね合わせて擬似的に幸せになるのと、蓮海先生のように救いのない話に共感するのとどちらが幸せなのでしょうね。後者はダウナーに幸せな気分になりますよね。鬱気持ち良いというか。>どちらの道を選ぶかは、やはり自分のルサンチマンをどう昇華するかによるのでしょうか。難しい問題ですが…どうしてハッピーエンドの方を好むのか、あるいはバッドエンドを好むのか…誰もハッピーエンドが嫌いなわけではないと思うんですよね。みんなハッピーエンド自体は好きだと思うんですよ。だた「どこまでいっても他人のハッピーエンドだからむかつく」というだけで。しかし、うーん…難しい問題です。イヤハヤ南友。
2006/07/21 00:13 >kagamiさんどもです。>「絶望」みたいな鬼畜エロゲが好きなんですが、最近はそういうエロゲはあまりでませんね…。ド鬼畜エロゲー最後の砦のたっちーも、最近は(あくまで割と)鬼畜度の低い作品ばっかりですしね。>昔のエロゲはA先生テイストだったんですが、最近はF先生テイストといったところでしょうか…。ブログのほうも拝見させていただきました。大変興味深かったです。最近、トラウマを植えつけられるような作品をあまり見かけませんね、エロゲに限らず。トラウマちっくな描写の作品は多いですが、単に露悪的なだけだったりすることもまま有りますし。まあキチガイな作品はキチガイにしか売れないってんで作んないだけかも知れないのですが…にっかつロマンポルノがごとく「エロさえ入ってれば何でもアリ」なのがエロゲーの良い所の一つだと思うので、エロゲー作る人たちには頑張っていただきたいです。>よって蓮海先生に期待です。メディアクリップ社は大丈夫なんですかね…>毒蝮麭麺さんどもです。>まんが道はF先生の方が喪男じゃありませんでしたっけ。A先生…もとい満賀道雄は、霧野涼子(だっけ?)と池鶴関係になった挙句、妻子ある年上の男性に寝取られてしまいには自殺されるっていう喪男ぶりでしたよ。才野の話で喪男というと…スイマセン、覚えてないです(’A`)
2006/07/21 00:57 そうですか。でも、女性と何らかのエピソードが有った分、喪男って印象が薄いんですよね。A先生。まぁ私が観たのが原作でなく、男前の竹本孝之が演じてたA先生(満賀)だから余計にそう思うのかもしれませんが。F先生(才野)は浮いた話もなくニートになっちゃって、しかも演じてたのがフツオだから、喪男というかひきこもりに近い印象を抱きました。

 

[ 116] 「世の中は厳しい」なんて大嘘 - アンカテ
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/essa/20070821/p1

個人にある種の才覚とネット上での行動力さえあれば、リアル社会に依存せずとも、ネット上に生まれた十分大きな経済圏を泳ぐことで生きていける。本書が紹介する20人の先駆者たちが証明しているのは、そういうことだ。「ニート」だ「引きこもり」だと親が心配して騒いでいる間に、実は息子や娘たちがインターネット経済圏で両親の倍も三倍も稼いでいたなんて事例は、「次の十年」を待たずして続々と報告されることだろう。
厳しい雇用環境下に置かれる「就職氷河期世代」の20代~30代 の若者たちの中から、会社に雇用されることを捨て、自営志向による不労所得 に時間をかけ、親や同世代以上の年収を稼ぐようになった「ネオニート」といわれる成功者が現れ始めている。
しかし、こういう報告は、いつも例外扱いされる。WEB自営のような生き方は、常に個人の例外的な才能や偶然の幸運に帰着させられ、なかなか見習うべきモデルケースとされることはない。
そういう生き方は、市場の見通しとか競合相手の参入可能性とかを具体的に評価する前に、一律で「世の中はそんな甘いもんじゃない」「世の中は厳しいものだ」という言葉によって否定されてしまうのではないだろうか。
しかし、ロングテールのしっぽで月収20万くらい稼ぐアーチストになるのは、一部上場企業に入社するくらいの難易度になる。「良くできた息子さんですねえ」と近所や親戚に褒められ、母親はちょっと鼻高々。でも、サインを求められたり町内で知らないものがいない、というようなレベルではない。iTMSが求める商品、売りやすい商品はメガヒットでなくて、そういうアーチストの大群である。
「正業」をめざすのは野心にあふれた人か自信過剰な人か夢見がちな人か本当にたぐいまれなる才能に恵まれた人で、一般の人は「アーチスト」と「副業」の中間のような収入源を複数持って、それで食っていくことが普通になると思う。
20世紀には、アーチストを目指すのは「非現実的で成功する可能性がほとんどない(けど万が一成功したら莫大な見返りがある)生き方」だった。一流企業を目指すのは、「誰にでも可能とは言えないが努力次第では充分可能であり、現実性を考慮しつつ多少高めに置く人生目標としては適切なレベルの夢」であった。
一流の企業で正社員として安定した身分と充実した仕事を確保するということは、ずっと難しいことになる。どんな業界も、寡占化が進み、トップ企業はスリムになっていくだろう。ごく少数の社員が、ITと集団知とクラウドソーシングを活用しながら仕事をする。特別な才能を持たない普通の人にとって、そういう場への参入は、「非現実的で成功するほとんど可能性がない(けど万が一成功したら莫大な見返りがある)生き方」になるだろう。
どんなジャンルでも、競争相手は世界中のあちこちにいて、そこに参入するための条件を満たす国は増えつつある。しかし、それは、単一市場の拡大ではなくて、市場の数が無数に増殖していくということだ。
音楽からアニメからゲームから演劇から全部ひっくるめて、日本全体にジャンル別に細分化された1000個の市場が出現して、各市場において、専業2〜3人と兼業100人ずつを養うということなら、充分あり得る話だ。そのうちいくつかの市場は、今のオタク市場やアニメ周辺産業みたいな形で、顧客ベースを海外に広げているかもしれない。
兼業も含め10万人いるなら、アーチストを目指すことは、「誰にでも可能とは言えないが努力次第では充分可能であり、現実性を考慮しつつ多少高めに置く人生目標としては適切なレベルの夢」になるだろう。兼業アーチスト+バイトという着地点を目指し地道に研鑽をつむことは、堅実かつ意義ある仕事で、尊敬されるべき生き方になるだろう。
企業の周辺でフリーランスとして働くということも含めて、WEBを使った副業的な仕事が数多く生まれ、そういう生き方が社会の主流になっていくと思う。生き方が多様化していて、ロングテール同士がネットで繋って市場を形成できるのだから、仕事の枠組み自体も非常にロングテール化していくはずだ。
たとえば、身分として大企業の正社員でいる人の数はそれほど減ってないけど、大企業の中で正社員に払われるコストにふさわしい仕事をしている人の数は、相当減少しているのではないか。会社が丸ごと税金を強奪することで成りたっているような企業も多い。
そもそも、社会にとって有用な価値を創造してそれで稼ぐ企業が本当の一流企業である。そういう意味での「(本物の)一流企業の(本物の)正社員」というのは、本当は既にもの凄い狭き門になっているけど、既に入っている人が残っているから目立たないだけなのだ。
受け取る給与に見合うだけの価値創造に貢献してない多くの人が、自分の地位にしがみついている。そういう生き方自体を批判する気はないが、そういう人たちが自分の経験に基づいて生み出す言説は、社会にとって非常に害になるものだと思う。
価値を一切創造しない人にとって、自分の給料とは、他の誰かが稼いだ金を奪うことでしか得られないものだ。確かに一定の価値を奪い合う生存競争は、熾烈なものになることもある。「世の中は厳しい、甘いもんじゃない」と言う人は、そういう競争の中にいる人だ。
それは、その人たちが生きる世界の中では真実なのだろう。それを否定するつもりはないが、その経験を社会全体のこととして一般化するのはどうだろうか。
大企業の中で、大した価値を生まずに正社員の給料をもらっている人たちは、そのことを否認した上で、自分の信念を組み立てているのではないだろうか。そういう人が、わずかながらでも自分で価値を創造しそれで食っていくという、WEB自営のような生き方を認めることは難しいだろう。
もちろん、価値を創造するということも簡単ではない。「創る」ことにも厳しい競争がある。それを含めて「世の中は厳しい」というなら、それは筋が通った意見である。
ただし、「奪い合う競争」の中での厳しさと、「創り合う競争」や「つながり合う競争」の厳しさは全く別のもので、厳しさは避け難いとしても、どちらの種類の厳しさを取るかは選択できる。
そういう前提を置いた上で、「どちらの厳しさも拒否して、親のスネを齧り続けるモラトリアムなチキン野郎が、最終的に社会に放り出されて直面するのは、創りあう競争である。そこで道を切り開くしか生きる道がないように、世の中の仕組みが変わりつつある。なんとかして自分自身の中から価値を見出すしかない。生きていく為には、そこから逃げることが許されないのが世の中というものだ」というような意見を言う人がいたら、それは傾聴に値すると思う。
そういう意味では、21世紀は厳しい時代であり「世の中は厳しい」というのは真実なのかもしれないと思うけど、脳内に構築した20世紀の世界の中に引きこもって、他人の価値にぶらさがって生きている人間には言われたくないだろうね。
私自身は、自分が生きる為になんらかの価値を生み出すことは、誰にとっても簡単なことだと考えている。
企業の中には、それをつぶす為の仕組みが何重にも張り巡らされているから、そういう試練を全部くぐり抜けて価値を創造するってことは大変なことだと思うけど、ネットの中には、逆に価値を引き出し育てる仕組みがたくさんあり、今もどんどん生まれている。それを通して見れば、多様な価値とそれを評価する人々がいくらでも見つかる。だから、ネットの中を見てれいば、価値を生み出すことは簡単に思えてくる。
はじめまして。 大変面白い意見ですね。 将来の自分の行き方について悩んでいたため、すごく参考になりました。 ありがとうございました。
ニッチ社会に生きる。これまでニッチの分野で生きていくには、分母が多い東京などの都会に行くしかなかったです。でもネットができて世界中がつながるようになったおかげで家の中だけでもニッチの分野で生きていく方法が見つかった気がします。
『兼業も含め10万人いるなら、アーチストを目指すことは、「誰にでも可能とは言えないが努力次第では充分可能であり、現実性を考慮しつつ多少高めに置く人生目標としては適切なレベルの夢」になるだろう。』ってさ、まず、10万人ってすごいエリートだよ。東大って、1学年3千人くらいだから、それが33年分で大体10万人。一部上場企業の従業員数計算してごらん。よっぽど楽だよ。才能のある人は大資本に頼らなくても成功する可能性ができる、ってこと。インターネットやテクノロジーがあれば、才能なくてもみんなアーティストになれるわけじゃないし。なんか世間知らずの理系的考え方だなあ、と思ってしまいました。ごめんなさい。
希望格差社会という本を読んでいてフラっとたどり着きました。重力に魂を引かれた人々ならぬ、20世紀の価値観にぶらさがる人々、というわけですね!!
『価値を一切創造しない人の、他の誰かが稼いだ金を奪うこと』ネット社会の発展は否応なくこの種の人々の取分を減らして行く。どのような立場であれ、『「世の中は厳しい」なんて大嘘』と言える自由を獲得するヒトが少しずつ増えていくこともどうやら間違いない。ポジティブな気持ちをありがとう。

 

[ 117] 世界一少年に厳しいデータ(詳細)|女子リベ 安原宏美--編集者のブログ
[引用サイト]  http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10012353519.html

誕生日:ジョン・レノンが死んだ日 真珠湾攻撃の日(なんかあんまめでたい日じゃないなぁ) だいたい年末進行でいっぱいいっぱいで自分の誕生日をいつも忘れてます(笑)
教育大学(教育心理学専攻)卒業後、生活情報誌編集部に入社。化粧品会社に転職。のちに独立。現在はマーケティングプランナー、イベントプランナー、フリー編集者、フリーライター。
? まず、不法侵入及び未遂↓についてはフィンランドに次いで2番めに低いのが日本です。画像をクリックすると大きくなります(以下同)。
さらに犯罪不安に最も影響を与える暴力犯罪被害↓については飛びぬけて低いのが日本です。日本は以前世界一安全な国といってよいでしょう。
??被害率が低いにも関わらず量刑意識が厳しいのが日本の特徴です。この厳罰化傾向で、国会などで「厳罰化法案」がスイスイとおり、刑務所が過剰収容になってます。世の中では凶悪犯が放りこまれてiいると思い込んでいる人が多く「刑務所が犯罪者でいっぱいだー!日本の治安が〜」とか新聞に書かれておりますが、刑務所は作業ができる人を確保するのも難しいほど、さつまあげ1個盗んだだけの高齢者などが放り込まれているのが事実です。刑務所は福祉施設じゃありません。そのあたりは、以前書いたこちらのエントリーをご覧ください「過剰収容のカラクリ」。
? さらにさらに少年犯罪対策としては厳罰化を選択する者がトップ↓という、大変若者には厳しい国となっています。こんなとこで堂々の金メダルとってどうするんでしょうか。どうしてこんなに少年犯罪に対して厳しいかという点については、90年代後半少年犯罪「報道」大ブームに一因があります。これについてはこのエントリーをお読みください。
ICVSではないですが少年犯罪の実態はどうかというと、こちらも浜井先生のデータを使いますと・・・。長いスパンで見たときの激減っぷりは全く疑う余地はありませんが、最近の傾向みても増加トレンドではありません。これは少年犯罪の凶悪犯罪検挙人員の推移↓(すぐ下のグラフ)です(凶悪犯罪とは殺人、強盗、強姦、放火のこと)。あと覚せい剤事犯↓(もうひとつ下のグラフ)の推移です。
「もともと(凶悪犯罪人員は)増加傾向はなく、とくに04年からは減少傾向を示しています。覚せい剤事犯件数の推移をみても、今まさにピークと思い込んでる人も多いかもしれませんが、最盛期は1982年で、そこから減少し、97年まで上昇しますがまた減少トレンドです。覚せい剤に起因する凶悪犯罪も増加傾向にはありません。」
「この数値だけは一貫して増加傾向にあり、その傾向は加速しつつあります。「不良行為」とは刑法に触れるような明らかな犯罪ではなく、深夜徘徊や喫煙といった青少年健全育成条例に反する行為を指します。この数値の増加傾向は若者の変化というよりも、警察の対応の変化、すなわち治安要求の変化です。深夜に街にいる若者を見つけると市民が通報しそれによって警察が動いて補導する。一昔前であれば社会が許容していたような行為が最近は比較的すぐに補導につながるようになったのです。」
ようするに「警察と住民が意味なく、がんばりすぎ(ようするに、うざい人たちが増えている)」ということです。ほんと全くどういう国なんでしょうか・・・。
さらに凶悪犯罪の「低年齢化」が危惧されていますが、これも統計的には全くギャグです、あいえ、まちがえた。逆です。「少年犯罪」の分野においても、実は「高齢化」の傾向です。例えば暴走族はその総数は減少傾向にありますが、その中で高齢化が目立ってきています。
新聞の見出しに「中学生ら」とか「高校生ら」いう「ら」ついてますが、この「ら」がクセ者です。中学生や高校生を引き連れている上の世代がいるということです。つまり、足が洗えない19歳とか21歳とかがいるってことで、今迄なら、足が洗えていたんですが、雇用状況の問題でそういった少年がいるのが最近のトレンドなんです。
いずれにせよ、若年層の雇用状況の問題が少年犯罪分野でも「高齢化」という事象につながっているといえるのです。
雇用の創出とセーフティネットの構築が最重要課題です。実態とそぐわない体感治安の増加、それを支える犯罪未然防止の気運と連動するわたしたちの被害者化する社会そのものが問題なのです。
? あとものすごく当たり前のこと書きますが、テレビでわーわー報道されるような「たまにいる」極悪非道な犯人は「珍しいから」報道されてるんですよ。だから正しい反応は「珍しいなあ」なんです。
・その分野のちゃんとした「専門家」に伺いましょう!国会図書館に行けば専門分野の専門紙はただで見ることができます。
そりゃああくびが出るものもいっぱいありますが、会社からもらってる給料には「あくび代」も含まれているはずです。コピーもしてくれます(ちょっと高いけど)。
声だけでかい刑法の専門家やでしゃばりな精神科医やおしゃべりで論壇制覇だけしたい社会学者は犯罪や統計の専門家ではありません。まずマスコミの人間からリテラシーを養うことが大事だと思われます。
次第に「体感不安」を煽り、「メディア悪影響論」をあじるといったこの種の言説を弄する人間に対して、殺伐とした感情を抱き始めて慄然としてしますよ(笑)これだけ明快な事実が、解釈とかも無縁の一目瞭然の数字がどうして一般に受け入れられないのか、そんなにスリル溢れた社会に生きていると思いたいのか?武田徹氏だったと思うのですがダイエットとは、簡単な自己効力感と、そしてまだまだという美の追及という退屈な人生に永久課題を与えてくれるのが最大の効用かもしれないなどと記していましたが、この種の言説もまったく同じですよね。この人の世界においてユートピアを求めるなんてそれこそバーチャルに毒されていると思うのですがねー。
人間って「ひょうし抜け」したくないんでしょうかね。すごく当たり前のこと書くのって、逆に勇気いるなあって思いますもの(笑) >そんなにスリル溢れた社会に生きていると思いたいのか? ほんとにそうですよ。まさに安ーい「ホラーハウス」作ってるなーとしか思えないんだけど。作るなら「イッツアスモールワールド」とかにしよう(笑)「兄さんは落ち着いて寝ていられないから起きると云います。起きると、ただ起きていられないから歩くと云います。歩くとただ歩いていられないから走ると云います。既に走り出した以上、何処まで行っても止まれないと云います。その極端を想像すると恐ろしいと云います。冷汗が出るように恐ろしいと云います。怖くて怖くて堪らないと云います。」 夏目漱石『行人』
こんにちはまったく おっしゃるとおりなんですけど分かってらっしゃるでしょうけど正しいことを言ってれば皆に伝わって理解されるかどうかは別問題ですからねぇ。>おしゃべりで論壇制覇だけしたい社会学者これってMさんですかw芹沢さんもそうですけどMさんに過大評価じゃないですか?
>正しいことを言ってれば皆に伝わって理解されるかどうかは別問題ですからねぇ。嘘つくよりいいでしょう(笑)。もうちょっと皆がおもしろがってくれるようなコメントいれてくれないと、つまんなーい。にょろ朗って名前はかわいいですね。>おしゃべりで論壇制覇だけしたい社会学者はいっぱいいるでしょう。Mさんは論壇の黒柳徹子としてがんばってるんだから充分意義はあるかと(笑)。
はじめまして。こんばんは。ご紹介ありがとうございます。ほんとですね・・・。見出しからして失礼ですね。記事の筋が全然とおってないし・・・。浜井先生は問題は若年層への雇用と寛容度の低下だっていってるのになあ。余程わかりやすいと思うんだけど。
犯罪報道のあり方を帰るのは難しいと思います。まず、リテラシーの問題。そもそも、日本に犯罪学部・犯罪学科的なものがないから、専門的な訓練を受けてる人が少ないです。だから、マスコミにも専門的に学んだ人は皆無に近いでしょう。後、マスコミ関係者のモラルもあると思いますよ。せっかくその分野の専門家に聞きにいっても自分の気に入らない話だったら無視・ひどいものなら捻じ曲げてくるものもあります。例えば、広田照幸氏が「教育不信と教育依存の時代」(紀伊國屋書店)の前書きででこのあたりのことを嘆いてます。
>専門的な訓練を受けてる人が少ないです。マスコミ関係者のモラルそうですね。マスコミ側にリテラシーが足りないでしょうね。それを棚にあげて、読者にリテラシーをあげろっていうのは本末転倒だと思います。編集の仕事はわかりやすくする仕事だとは思いますが、最初から、わかりやすいこと喋ってくださいっていうのは違うと思います。矯正や処遇の話もちゃんと知らない識者が語りすぎだと思います。・・と嘆いてばかりも入れられないので、まあ世界の隅でコツコツと文句いってみようかと(笑)。私のブログを見てるマスコミ関係者がいれば浜井先生のような人にきちんと聞きに行って欲しいですね。
ふと思ったんですが、厳罰が抑止力になって少年犯罪が少なくなっている、と考えることは出来ないんでしょうか。
データの読み方には基本的に賛成なのですが、犯罪の検挙率については考えなくてもよいのでしょうか?つまり、「検挙数は増えていないが、犯罪案件そのものは増えている」という仮定を否定できる材料は、引用された資料からは読み取れず、むしろ検挙率が低下している昨今の社会情勢に鑑みると、「検挙者は減っているが、少年犯罪は増えている」という仮定を否定できないような気がします。
こんにちは。はじめまして。ごもっともな疑問だと思います。 はい検挙率急激に下がりましたよね。これにもカラクリがあります。これは警察の方針転換です。たとえば窃盗犯を捕まえると、50件くらいは余罪がありますが、犯罪者は1人。余罪を追求すれば、50件ぜんぶ検挙されたことになりますが、しなくなった。そうすると、残りの49件は検挙されてないことになります。つまり犯人はつかまってますけど検挙率は下がります。殺人などの検挙率は下がってません。 検挙率が急に下がった、というのが実はおかしいのです。戦争とか暴動じゃない限り日本の警察がある年を境に急に能力がなくなったり、急に日本人が凶暴になるということのほうが変ですよね。
>「検挙者は減っているが、少年犯罪は増えている」という仮定を否定できないような気がします。ヒント・殺人の検挙率・ユニバーサル曲線以上
量刑意見のデータの扱いについてなのですが、コミュニティサービスなるものが現状ないのですから0になるのであって、もし一般に認知されていたら懲役を望む割合が食われていたと考えられませんか?そして、選択肢の中で最も寛容と思われる執行猶予を選んだ割合が高いことをもって少年にやさしい人が最も多いとも言えますよね。(勿論上記を仮定すると執行猶予も懲役と同様に値が低くなる可能性がありますよね。)ということでこの論旨にこのデータを引用するのはあまり好ましくないのでは?
こんにちは。はじめまして。ご指摘ありがとうございました。確かに。ちと書き方甘うございました。訂正しときます。 これは私の意見ですが、コミュニティサービスと執行猶予というのは社会内処遇という意味では一般の人にそれほど差をもって受け取られるかというとそうではないないのかな?と思ったりもします。つまり現状の懲役の割合を食うかというと食わないような気が。といっても所詮可能性の話ではあるので、現状「拘禁刑」を選んでいる人間が多い、被害率のわりに厳罰思考が高いという合わせ技で私はやはり少年犯罪の実態以上に厳罰思考が高いなという認識ではあります。
はじめまして。早速で恐縮ですが、一言御許し下さい。>そのまえの少年法というのは犯罪被害者を法的にも社会的にも忘れていたことが大きな理由です少年犯罪の被害者(遺族)が求めているの必ずしも情緒的な「厳罰化」ではなく、何よりも「真実が知りたい」ということだと思います。御承知のように、少年審判は非公開で行われ、一体如何なることが自分達の家族の身に起こったのか、どのような状況で死に至らしめられたのか(傷つけられたのか)、加害少年たちは本当に反省しているのか否か等々に関する情報が、被害者(遺族)にすら公開されない。ましてや少年審判に立ち会うことなど許されないという現状がありす。真実を知るためにやむを得ず民事訴訟を起こさざるを得ない。もちろん訴訟費用は自己負担であり公的な補助などありません。お金も時間もかかるわけで、犯罪行為によって既に打撃を受けている被害者(遺族)にとって更なる負担・犠牲を覚悟しなければなりません。少年犯罪を巡る議論において、ただデータの増減を取り上げて論ずるだけでは被害者(遺族)の願いに十分応えることはできないのではないでしょうか。被害者(遺族)の方々も「可塑性のある少年の立ち直りを支える」という少年法の理念そのものは否定していないように思います。ただ、出来心による非常習的な万引きや軽微な窃盗犯等とリンチ殺人のような重大犯罪を同列に扱ってほしくない、保護・更生は大事であるが、その前にまず心からの謝罪・反省を示してほしい、このような思いが強いように思います。少年法の最大の問題点はその「密室性」にあると思います。少なくとも被害者側には原則として全ての情報を公開すべきでしょう。それを拒否する理由は何も無いと思います。
少年法の「事実認定」の問題点については、私もDHさまと同じく問題を共有してるつもりです。山形マット死事件の事実認定の流れで法改正がされていれば、酒鬼薔薇事件での改正、結果的には厳罰化の流れにはならなかったように思います。 このあたりは編集させてもらった「ホラーハウス社会」芹沢一也著をお読みいただければ幸いです。 現状問題なのは、この少年法改正論議のなかで今に続く「少年全体」に恐怖が宿ってしまったこと、そして実態を無視した、治安政策にまんまそのロジックが活用されている点です。 さらに「心底の反省」というのはもちろん私も冷徹人間ではありませんので気持ちは理解はできます。ただし、法やシステムの上でそれを担保していくのは危惧があります。「心」という目に見えない問題を「強制」していくことは結果的にはゴールがありません。かなり考えないとそれは被害者、加害者、社会にとってもよい方向になるとは私は思えません。 いろいろなご意見があると思いますが、以前こんなエントリーを書いてみましたのでお時間があるときにでも読んでいただけると幸いです。http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10011273363.html
丁寧な御返信恐縮に存じます。私が申し上げたいのは「<心>という目に見えない問題を<強制>すべき」ということではなく、加害少年が立ち直り、社会復帰を果たす上で「謝罪」「反省」のプロセスは軽視できないのではないか、にもかかわらず現行のシステムにおいてはそのことが必ずしも充分に考慮されていないのではないだろうか、ということなのです。御紹介のエントリーで述べていらっしゃるサッカーの例え話はよく理解できません。サッカーの試合は犯罪行為ではありませんよね?負けたチームは加害者なのでしょうか?ポリグラフ云々も含めて、些か不適切な喩えではないでしょうか。マスメディアの情緒的なセンセーショナリズムに対する御批判には同感です。マスコミ関係者のみならず、視聴者も冷静な目を養う必要がありますね。ただ、「堂々の金メダル」「うざい人たち」とか「正しい反応は<珍しいなあ>」等の表現には違和感を覚えます。犯罪被害者(遺族)にとっては「100人に1人」の確率であろうが、「10000人に1人」であろうが関係ないことです。たとえ「10万人に1人」であったとしても被害者側にとっては「それが全て」です。「少年犯罪が増えていないから現状のままで差し支えない」ということにはならないと思います。
こちらこそ。読んでいただいてありがとうございました。 『加害少年が立ち直り、社会復帰を果たす上で「謝罪」「反省」のプロセスは軽視できないのではないか。現行のシステムにおいてはそのことが必ずしも充分に考慮されていないのではないだろうか』ここについては、現少年審判過程でも被害者の意見陳述もされていますし、矯正現場に被害者が入って話を聞かせる動きなどは行われています。ただし、刑期を終えた少年までにたとえばその「謝罪」「反省」を求めるということになると話は別で「心」の問題といった「わからないもの」を強制して追い掛け回すといったシステムにつながりかねない危険性もあります。社会復帰については、私は一番有効なのは社会が加害少年に対してスティグマを押し付けないこと、仕事と住環境があること、受け入れる社会が「やりなおす」ことに理解をしめすことがまずないと、「反省」も「謝罪」もしようにもできないように思います。 そして青少年育成条例など、少年の行動などを必要以上に制約する法を作っていく現場で、数値の根拠のない「少年犯罪の凶悪化や急増化」というのが使われているのは確かで、数値の根拠は当然そういったところで使われるべきだと思います。 犯罪はゼロにはなりません。 さらに少年犯罪が増えていないから現状「犯罪被害者の処遇」はそのままで差し支えない」という話は別の話です。 犯罪被害者運動のなかで、どうしても犯罪にあった恐怖、加害者への憎しみを語るということが、社会への実態以上の恐怖をつくる面もこれは否定できません。「受難の民」が大きな攻撃性をもつのは確かで、「いっしょに悲しむ」しかし、それが社会への恐怖や怒りをあらたなかたちで作らないようにしなければ、「いつなんどき自分が被害者になるかもしれない」が前提となる社会はやはり窮屈なものになると思います。
たびたびすいません。補足させてください。「さらに少年犯罪が増えていないから現状犯罪被害者の処遇はそのままで差し支えないという話は別の話です」 ↓ これは金銭面、ケア面などはもちろんやったほうがいう意味です。 ただ犯罪被害者運動が「このような犯罪が2度と起こらないように」と犯罪の未然防止活動とくっつくのは過剰となっている部分が多いと思います。 これは必然的に犯罪ゼロの世界を目指すことになり、学校等のゲイテッドコミュニティ化につながると思います(実際つながっています)。地域に学校をひらく⇔学校を閉じるというのは相容れぬ難問になります。「学校の管理安全強化」を願う被害者の気持ちはわかりますが、これは数字の議論をきちんとしないといけないところだと思います
たびたびすみません。私自身所謂「厳罰化」には必ずしも賛同しません(そもそもこの「厳罰化」という言葉自体かなり曖昧・恣意的に使われているように思います)。又、犯罪被害者(遺族)の方たちの主張に全面的に同調するものでもありません。本来少年法はあくまでも非行少年の立ち直り・更生を手助けするものであって、被害者のケアなどということは想定されていないわけです。それゆえ、少年法の拠って立つ理念に鑑みれば、少年法に被害者援護を求めるのは言わば無いものねだりなのかも知れませんね。拙コメントの「少年犯罪が増えていないから現状のままで差し支えない」云々これは犯罪被害者の処遇のみを指して言ったのではなく、少年院等における矯正教育のあり方・保護観察制度等非行少年に対する処遇も含めて少年法全般について述べています。いずれにせよ、「保護更生か厳罰化か」というような問題の立て方は避けるべきだと思います。不毛な議論になるだけでしょう。仰るように犯罪をゼロにすることはできません。相互不信に基づく監視社会を危惧されるのは理解できます。情緒的な対応には注意が必要です。ただ、「社会が受け入れてくれないから反省も謝罪もできない(しない)」というのは少々物分りが良すぎるようにも思いますが。被害者の恐怖感や憎しみを煽りたてることは慎むべきです。その点に関しては同感です。が、逆に「復讐は許されない」「応報感情を乗り越えよ」などと一方的に「説諭」することも慎むべきでしょう。被害者(遺族)の立ち直りに資するシステムが早期に実現することを望みます。
本当にご丁寧な返信をありがとうございます。 基本的にはすごく同感します。 「被害者の癒し」か「加害者の社会復帰化」かというところがなぜ対立しなくてはいけないんだろうなあとは思います。 先日朝日の投稿欄に「神社にいた若者を泊めたあげた友人を誇りに思う。凶悪犯罪が起こってるのに」という話がのっていました。 完全に若者が犯罪予備軍と同一化してて怪物化しています。これは本当に実態は無視している。 罪を免罪する気は私もありません。旧少年法の保護一辺倒主義にも賛成していません。罪は償うべきです。 私は「加害者の人権」というよりも、「やりなおす社会」というのは、社会ひとりひとりの寛容度にかかっているし、ここを失うことは非常に息苦しい社会を作ると思います。相互不信に基づく監視社会だけを心配してるだけではありません。もしかしたら、犯罪をおかして社会に戻ってきた人だけでなく、誰にとってもやさしい寛容度のある社会失うのではないかと思うのです。凶悪犯罪のイメージが流布されているから、きれいごとに聞こえるかもしれませんが、人間は誰でもミスはします。 現、日本に現れてる刑罰システムはアメリカがやった「法と秩序」というアプローチに近くアメリカは200万人の国民を閉じ込めてまだ安心ができない状態になっています。日本も実際に厳罰化にはなってきてます。それによって刑務所に放り込まれれているのは、軽微な犯罪を犯した障害者や高齢者です。 治安対策に福祉のお金がくわれていくという研究もあります。日本は治安状態はよい国ですから、非常に無駄です。福祉が薄くなっていくほうが犯罪増加に荷担してしまうのです。被害者遺族自身も本当に犯罪をなくしたいなら、環境犯罪学といった治安に逆効果なシステムに依拠していくのではなく、そういった福祉がくわれていくところも考えていくべきではないでしょうか。 被害者(遺族)の立ち直りに資するシステムはやっとはじまったばかりですが、世界的な趨勢によってこれは進むと思います。 ただ、そのいっぽうで「やりなおす社会」について行刑の場を越えて被害者遺族が刑期を終えたものに、その行刑の場以上の「癒し」のためにかかわっていくことは、私はやはりかなりの慎重さが必要だと思います。
こんばんは。TBさせていただきましたが、感想がまだでした(失礼いたしました)。拙ブログにいただいたコメントに対する返答にも書きましたが、この記事、わたしにとっては本当に「目からウロコ」でした。わたしはフィーリングでものを見てしまう人間なのですが、この記事(特にグラフ)を拝見してビックリです。やっぱりものはありのままに見ないとダメですね。数値化・グラフ化するのはとても重要です。それに、マスコミの報道は一度疑ってみないと。日本の将来に希望を見出せる記事を、どうもありがとうございました。勝手ながら、貴ブログを拙ブログにブックマークさせていただきました。これからもよろしくお願いしますm(_ _)m
こんにちは。 私も目からウロコでした。感想もありがとうございます。 昨日渋谷で夜中まで打ち合わせしてたんですが、まあ、夜2時こえても女子ひとりでウロウロできますからねー。 やはり安全な国だなあと思いました。これからもよろしくお願いしますm(_ _)m。
>まずマスコミの人間からリテラシーを養うことが大事だと思われます。全くそのとおりなんですが、決定権を持つ人材が予断で動くタイプであることが非常に多く、視聴者に対しての要求が非常に低いのです。従って、タマとして動かしやすいタイプが重要事件の取材者となります。彼らは担当する部局の政治や動向には詳しいですし、実際は仰る「リテラシー」も持っていますから「分かってるよ」と思いながらも「予断」に合わせた結果を導くのです。
こんにちは!はじめまして。どこぞの記者さんでしょうか? まだまだ少ないですが、「これではいかん!」と思って話を聞きたいと尋ねてくださる記者さんもいらっしゃいます。 そこらへんは記者さんのひとりひとりの問題意識にかかわると思います。いっしょにがんばりましょー!
ほとんどの点について納得できますが、一点疑問があります。昔、日本では家に鍵をかけることもなく、しかも犯罪が少ないことを外国人が驚いています。いまもそんな傾向が地方では残っています。国情はそれぞれにちがっており、数字的比較だけで結論はだせない。 外国にくらべて犯罪が少ないので問題はないとは思えない。たとえば日本ではエイズ患者は外国にくらべて少ないので心配ないとするに似ています。
あのね・。コメントがいまいち意味不明なのですが 昔、日本では家に鍵をかけることもなく、しかも犯罪が少ないことを外国人が驚いています。 ↓で?とんでもない。これ単なるイメージです。昔のほうがこの「日本」はとっても犯罪多いですけど、今より圧倒的に。それともカギかけないほうがいいって話ですか?私も家に鍵かけてますけどね。外国に比べて犯罪少ないから安心せよって話しでもないんだけどなー。国情にあわせての犯罪対策の話になってないんですけどねー。そんなに安心できないのであれば、どーぞセコムにでも相談してくださいな。防犯対策がんばってくださいねー!
このエントリーで採り上げられている、浜井浩一氏は別のところでこのようなことを述べています。「筆者は、現状認識として治安が悪化していないことを強調しているが、将来も悪化しないといっているわけではないし、日本で凶悪犯罪がまったく起きないといっているわけでもない。数こそ減っているが、毎年七〇〇人近い人が犯罪の被害により大切な命を落としている。備えあれば憂いなし。犯罪に対する備えは必要である。ただし、その際の備えとしては『犯罪は正しく恐れ』、その上で、効果的で副作用の少ない、人々の生活に優しい犯罪対策がとられるべきだと考えるがいかがであろうか。」浜井浩一「検証『治安悪化』と刑事政策の転換」(「世界」no.737 17ページ)少ないからいいと言っているわけでなく、今、不安に煽られて不適切な政策を採っていないかどうかという問題意識だと思います。>安原さん出すぎたようなまねなら、すいません。
ありがとうございます。(゚・゚* 感激♪>出すぎたようなまねなら、すいません。 とんでもありません。いくらでもガンガンコメント介入してください。ご紹介等々もほんとうに感謝です。もっと勉強しなくっちゃー。
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記事概要:去年辺りから、来年2007年に団塊世代がどどっと退職するからいろんな仕事に支障がでるんでは??ってなことが騒がれている。 でもそれってほんとなか??と、わたしはかなり懐疑的である。 だって世代なんか関係なく、有能な人ならちゃんと自分がいなくなったあとのシステム
記事概要:ここ最近の記事でも触れているように、新聞やテレビなどのニュースを見る限り、今の世の中は、物質面では昔より豊かになったが、それ以外の面ではどんどん悪くなっていっているような印象を受ける。 しかし、uchyaさんのところでも紹介されていたけど、こんな現実があるんだ

 

[ 118] ITmediaモバイル:地球に優しく人に厳しい〜「愛・地球博」お食事事情 (1/2)
[引用サイト]  http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0503/24/news076.html

25日から開幕する愛・地球博。先週末取材に出かけた記者はあちこちで「万博どうだった?」と聞かれているが、思い出すのは辛かったことばかりで……。
今週のトップ10を振り返ると、1位は携帯フルブラウザ3種の比較、2位が「携帯はどこまでiPodになれるか」(サブタイトルがないと、内容はムックの紹介だとは分からないタイトルでしたね)、3位がウィルコムのジャケットフォンの話題。しかしそんなことには全く関係なく、今回のトップ10では、明日から愛知で行われる万博の食事事情についてお伝えしたい。
明日25日に開幕する愛・地球博。実は万博会場へのビン、缶、ペットボトル、弁当の持ち込みは禁止されている。入場時には厳重なセキュリティチェックがあり、上記のものを持ち込むと、その場で没収される。なお水筒の持ち込みは可、菓子パンも開幕直前に持ち込みOKになったが、基本的には入場者はほとんど全員、会場内の飲食施設を利用することになるはずだ。
開幕前の18〜19日に、記者は取材をする機会に恵まれた。東京に戻ってきてからあちこちで「万博どうだった?」と聞かれるのだが、思い出すのは寒さとひもじさと行列、そしてとんでもなく飲食物が高かったことばかり。ああ、思い出すだにひもじかった……。
取材初日の18日はプレスのみが招待されての内覧会だったため、会場内の混雑はそれほどでもなかった。万博といえば、最新技術が披露されるだけでなく、「万国博覧会」の略称であることからも分かるとおり、世界各国のパビリオンが大きな目玉。パビリオンでは文化的な展示がされるだけでなく、その国の食べ物を販売しているところも多い。
記者は初日、トルコ料理レストランで昼食を取った。トルコ料理が食べられる場所は会場内にいくつかあるが、訪れたのは東京・神楽坂にあるトルコ料理店「ソフラ」が出店しているレストラン。ソフラはトルコ大使館の人々も常連という有名店で、味は折り紙付き、ただし値段も高め、という高級レストランだ。
「ソフラ」のランチ。スープ、サラダ、メインディッシュ、デザート、パンなどを盛り合わせたセットになっている(左)、レストラン内ではベリーダンスのショーも行われていた(右)
店内はカフェテリア形式で、好きな料理を指さして選べるようになっている。レンズ豆のスープ、レバーを混ぜたピラフ、ナスの料理などなど、どれもさすがソフラ、という感じで、味はかなりおいしかった。デザートのライスプティングも、トルコで食べるような脳天突き抜け系の激甘テイストでなく、日本人向けの上品な甘さ。ただしまだまだスタッフが慣れていないようで、料理が冷め気味だったのは残念だ。
もう一つ残念だったのは値段。料理はデザートまで含めてセットで2000円、コーヒーは別料金で350円。記者にとって、昼食で2350円は大変な贅沢である。「まあでも、ソフラは高級店だし仕方ないか」と思いながらレストランを後にした。しかし翌日、これは決して高くなかったことを思い知らされることになる。
各国のパビリオンも見て回ったが、18日〜20日の内覧期間中は、まだまだ飲食施設までオープンしているパビリオンは少なかった。飲食施設を運営しているパビリオンはどこも大行列。とくに人気があったのは、「タパス・バー」で伝統料理が食べられるスペイン館、特産の各種ビールが飲めたり、チョコレートやワッフルが買えたりするベルギー館など。また、アフリカ館のそばにはスタンドがあり、甘えびのフライやジュースなどを購入できる。ここは比較的混雑は少なめだ。
「タパス・バー」が人気のスペイン館。外まで行列が続いていた(左)。ブルガリア館では軽食やお菓子などを販売するとパンフレットにはあったが、内覧日にはバラの紙パックジュースとバラのジャムをカウンターで売っていただけだった(右)
携帯電話は、テレビドラマのさまざまなシーンに登場し、ストーリー展開のキーアイテムとなることも多い。また、どの役者がどんな機種を使っているかにも興味が尽きない。今回もテレビドラマに登場する携帯電話をチェックした。まずはドコモ編からお送りしよう。
イー・モバイルが音声サービス開始「3大キャリアの古い慣習を打ち破る」と千本会長――あの“サル”から祝電も
イー・モバイルが音声通話サービスを開始した。同社の千本倖生会長兼CEOが「我々が日本を世界一の携帯市場に引き上げる」と意気込みを語ると、テレビCMでおなじみのあの“サル”から、お祝いの電話がかかる一幕も。
携帯端末事業からの撤退を発表した三菱電機製端末には、エポックメイキングなものも多かった。2003年5月に発売された、メガピクセル撮影が可能なカメラを搭載した「D505i」もその1つ。早速中身を見てみよう。
酷似した携帯をソフトバンクモバイルと東芝が売り出したとして、製造・販売の差し止めを求める仮処分を申し立てたNTTドコモと富士通。“そっくり携帯”に待ったをかけたいドコモと富士通だが、これが通ればユーザーの不利益につながるはずだ。
ソフトバンクモバイルが社員間の通話料金を終日無料にする法人向け割引きプラン「ホワイト法人24」を発表。10契約までを1つのグループとして設定でき、グループ内の通話料金が終日無料になる。
ドコモがPC接続のデータ定額サービスに「2年割引」を新設した。2年間の継続利用を条件に、月額利用料の上限を3780円割り引く。9月からの導入にさきがけ、3月1日から同じ割引条件で利用できる期間限定値引きを実施。また、指定端末については「バリューコース」と「ベーシックコース」を適用する。
ウォルト・ディズニー・ジャパンとソフトバンクモバイルは3月1日、20代から30代の女性をメインターゲットにした携帯電話サービスを共同で開始する。シャープ製の専用端末を販売するほか、ディズニーの豊富なコンテンツが利用できる各種サービスを用意する。
ソフトバンクモバイルは1月21日、新規加入から3年間、ホワイトプランの基本料金が0円、パケットし放題が0円〜4410円になる「ホワイト学割」を発表した。また、学生向けのコンテンツを集約したポータルサイト「コンテンツ学割クラブ」を開設する。
ウィルコムは1月21日、2008年春商戦向けの音声端末とデータ通信カードを発表。音声端末をウィルコムの4本柱の1つに据え、2台目需要に応える通話とメールの使い勝手をよくした音声端末を投入する。
ジャーナリストの神尾寿氏と石川温氏を迎え、2007年の携帯業界を振り返る、年末の特別対談企画。第1回目は、2007年全体の大きなトピックと、905iシリーズで大きく巻き返したドコモ、冬商戦でやや足踏みをしているauについて語ってもらった。
加入初年度から基本料金を50%割り引く「ファミ割★MAX50」「ひとりでも割★50」、分離プランとして導入した「バリューコース」、全部入りの905iシリーズなど矢継ぎばやに投入したサービスや端末が好調なドコモ。販売現場を率いる営業・販売担当部長が、冬商戦の動向と、競合他社に対する強みについて改めて説明した。
NTTドコモは、携帯電話の新たな販売方法として「バリューコース」と「ベーシックコース」を発表した。11月より順次発売する905iシリーズから、どちらかのコースを選んで端末を購入する。
KDDIはau携帯向けの新たな料金・携帯購入方法を11月12日に導入。ユーザーは、同社が購入金額の一部を負担する代わりに月額利用料金がやや高い“フルサポートコース”、月々の利用料金を抑える代わりに購入時の金額補填がない“シンプルコース”の2種類から選択できるようになる。
おサイフケータイの機種変更時で“ありがち”なのが、古い端末でやるべきことを忘れて、新しい端末に替えてしまい、新しい端末で途方にくれる……というパターンだ。本記事では、おサイフケータイの機種変更&故障時になすべき手続きを詳しく解説する。
家族間の通話が24時間、無料に──。ソフトバンクモバイルが、ホワイトプラン加入者を対象とした家族割引プラン「ホワイト家族24」を提供する。追加料金なしで利用できる。
ソフトバンクが新料金プラン「ホワイトプラン」を発表。ホワイトプランは月額基本料980円の料金メニューで、新スーパーボーナス加入必須などの付帯条件はないという。

 

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