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対談とは?/ ディック

[ 558] 新春対談 鈴木敏夫VS押井守 : 100人のジブリ : ジブリをいっぱい : エンタメ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
[引用サイト]  http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/ghibli/cnt_interview_2004so.htm

1951年、東京生まれ。東京学芸大卒業後、竜の子プロ入社、テレビアニメを演出。スタジオぴえろに移籍後、フリーに。「機動警察パトレイバー」シリーズなど
今や世界に名高い日本製アニメーション。今年は、その話題作が相次いで公開される。押井守監督の「イノセンス」と、宮崎駿監督の「ハウルの動く城」。映画界の話題を独占すること間違いなしの両作品に、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが参画している。そこで読売新聞では、鈴木プロデューサーと押井監督の初対談を企画した。20年来の友人であり、常に時代をリードしてきた2人の話はアニメーションにとどまらず、映画論や家庭論にまで及んだ。(司会/原田康久)
鈴木 実は最近、「風の谷のナウシカ」を20年ぶりに見たんです。改めて感じたのは、ナウシカは傷ついた地球をたった1人で救おうとしている。背負ったものが、大きいんですね。当時は「宇宙戦艦ヤマト」のように、どれも壮大なテーマだった。だが、最近の宮(崎駿)さんの作品で言うと、例えば「もののけ姫」の主人公アシタカは非常に個人的な理由で旅立つ。
押井 「ナウシカ」の当時、アニメーションは地球の運命や人類の運命を背負ってたんですね。学園ものシリーズでも、映画化されると、突然「地球だ」「人類だ」になっちゃう。当時、僕は「うる星やつら」をやっていましたが、何かというと「地球だ」「人類だ」というのが嫌だった。
押井 一つには年を取ったからでしょう。年齢は作品に大きくかかわる。特にアニメーションは、作る人間の意識がもろに出ますから。僕自身は、これまで時代にどうやって抵抗するかということを作品づくりの根拠にしてきた。ところが、だんだん年取ってきて、何となく首から上(頭)と下(体)で考えることが、一致しなくなってきた。生理的に求めているものと、作ってきたものが、どうも違うんじゃないかと。
鈴木 時代を追うテーマがあるとしたら、現代において何を作るべきか、ということです。僕の子供のころは本当に貧しい子がいっぱいいて、当然映画も「貧乏の克服」が大きなテーマ。それを一番うまくやったのが黒沢明です。ところが衣食住が行き渡った途端、黒沢が持っていたテーマは意味を失い、彼はファンタジーとしての貧乏を描き始める。それで苦しむ。そんな時代に宮崎駿は自然の問題を取り上げ、「貧乏は克服したかもしれないが、その結果として何が起きたんだ」というテーマで新しい娯楽映画を作った。ところが、気がつくと、その宮さんのテーマも個人的なものになってきている。「千と千尋の神隠し」が非常に象徴的ですけれど。でも、押井さんはもともと、人類や地球とは無縁にやってた訳でしょう。
鈴木 僕は団塊の世代で大学闘争の世代ですよ。押井さんは、そのころ高校生。大学生が大規模デモを組織するのを社会は許したが、高校生は許されない。その差は決定的だと押井さんが言ったんです。その恨みをずうっと抱き続けてるんだよねえ。
押井 正確に言うと、人間という「現象」や「存在」には興味がある。でも、個々の感情や心理といったことは文学に任せとけと。
鈴木 押井さんは、小津安二郎なんて全然評価しないんです。杉村春子が、ある気分を非常にうまく出す。そういうのが好きな僕を、「だから新しい映画にかかわれないんだ」と批判する。映画の基本は人間を描くということだと思う。ところが押井さんは、「いや、おれは人類を描く。歴史を描くんだ」と言う。「ナウシカ」は人類を描いているんだけど、それを押井さんはどう思っていたのかなあ。
鈴木 僕は押井さんに頼まれて映画に1本出ているんです。自分としては演技を頑張って、カメラマンもいいショットがいっぱいあると認めてくれた。ところが押井さんは、僕の名演技を全部カットする。
押井 いや、あれは本人が勝手に名演技と思っているだけで……。あるアニメーターに「あんたに『千と千尋』は絶対作れない」って言われたんです。要するに、お前の映画には人間の感情がない、情緒がないと。こっちは「その通りだよ。それのどこが悪い」と。
鈴木 僕は、「天使のたまご」という映画にかかわりながら本当に驚いたのは、この映画は観念の具体化だと思った。情緒がないんです。男女2人が出てきながら、官能性が一切ない。
押井 それが突然ね、首から下が気になり始めた。自分の生活の実感がね。今までどうでもいいと思っていたのに。
押井 そう。自分が生きているという実感みたいなものが、けっこう生々しくなってきた。たぶん、年のせいもあると思うんだけど。
鈴木 今、宮さんは「ハウルの動く城」を作っていて、毎日イライラしているんです。なぜかと言うと、宮さんは、登場人物の気分や感情を出そうとする。ところが、最近の若い人たちは、それを描けない。で、若い人たちが描いた動きを「違う!」と言っては描き直している。ところが押井さんは、「そんなの分かっていなかったのか。今の若い人たちはとっくにそうなっている」と。
押井 きっと、今の時代、自分の体はないも同然なんです。携帯やインターネットで感覚の延長線上にあるものは膨大に広がった。でも、自分の存在がまさにこの体なんだという感覚がない。
鈴木 「イノセンス」には、人間の肉体を持った人がほとんど登場しない。主人公に脳みそだけが残っていて、あとは全部機械。まさに現代の人間なんですよ。(次ページへ続く)
前作「アヴァロン」以来、4年ぶりの新作となる。来年春に公開予定。プロデューサーに鈴木敏夫を迎え、スタジオジブリが制作協力する。

 

[ 559] 経営者対談・All About [For M]
[引用サイト]  http://allabout.co.jp/M/20020901/d/

いよいよ男がファッションを愉しめる季節が来た。For Mとしておすすめのブーツは、気品+色気が漂う一足。足元を美しく演出する“大人のブーツ”を見つけてほしい。
ーダー不在の時代だという。時代をリードするような人材がいつになっても台頭してこないという。だが、果たしてそれは本当のことなのだろうか。どんな時代であってもそこにはあえて激流に身を投じ、己の生命を燃焼すべく社会に挑戦する人間がいる。
第1回目のゲストは平成のジャパニーズ・ドリームを実現したサイバーエージェント藤田晋社長。リクルート・アバウトドットコム・ジャパン社長・江幡哲也が成功の秘密に迫った。
1973年福井県生まれ。97年青山学院大学経営学部卒業後、インテリジェンスに入社。98年3月に同社を退社し、サイバーエージェントを設立、代表取締役に就任。インターネットビジネスの営業代行からスタートし、クリック保証型のバナ−広告事業で急成長。その後もインターネット広告代理事業だけでなく、メルマガや懸賞サイトといったメディアコンテンツ事業を展開。2000年3月東証マザーズに株式上場を果たす。
入社1年が経過した頃に社内の別の人間に独立を誘われ、その話を当時の社長にしたところ、自分では足りない分を出資してもらえることになったから。
リスクを考えるより先にリターンに目がくらんでいた(笑)。と同時に、必死になって働いていれば、失敗してもそれがキャリアになり、次につながると思いました。
営業する中で売れる商品を探し見つけていった。結果的には、「クリック保証型のバナー広告事業」が大きく成長するきっかけとなりました。
入ったばかりの新人営業部員でも、「クリック保証型のバナー広告事業」という商品は易々と売ってこれたので、これだと思いました。
韓国への進出。提携先のパートナーとの関係に苦しんだ。その結果、早期に見切りをつけ、日本の事業に集中する結果となりました。
江幡 藤田社長がサイバーエージェントを立ち上げられたのは24歳のとき。「クリック保証型のバナー広告事業」という新しいインターネット広告ビジネスで急成長を遂げ、2年後には瞬く間に東証マザーズに上場したのだから凄いですよね。
藤田 僕は小さな頃から事業家になりたいと思っていましたけど、これまでは順調に進んでこれたものだと思っています。そうはいっても、本当の正念場はこれから。気を引き締め直し、現場に檄を飛ばしていますよ(笑)。
藤田 ええ。漠然とながらも、大きなことを成し遂げたい、という思いがありましたから。だから一時は、ミュージシャンになることも夢見たのですけど、才能がね(笑)。それで、東京の大学に進もうと猛勉強したはいいんですが、大学に入学してからは逆に気がゆるんでしまって麻雀三昧。さすがに3年次にそれが原因で留年してしまってからは生活を改めなければと思って、事業家になる夢を思い出し、それには「スーツを着てする仕事だ」と、広告代理店でアルバイトを始めました。
藤田 リクルート出身の方が起業された会社で、リクルートのライバル会社のようなことをしていました(笑)。この会社はバイトといえども、仕事の中身は社員と何ら変わりなかったのです。真夏に1日に100件もの飛び込み営業もやりました。仲間はそのきつさに耐えかね、どんどんやめていきましたが、僕は「こんな程度でへこたれていたのじゃ」と。だって、自分でいずれ事業をやろうと思っているのに、そんなに軟弱じゃ仕方ないでしょう。同時に、その会社は小さな会社だっただけに、経営をするということが身近に感じられたのはとってもよかったことです。
江幡 なるほど。リクルート出身者の会社で働いておられたのですか。それで、その後はどういった企業に就職されたんですか?
藤田 ベンチャーで、しかも伸び盛りのところでさらに経験を積みたいと、当時目覚しい成長をしていたインテリジェンスに決めました。ここでも、本当に必死に働いた。朝は始発で会社に来て、皆が会社に出社する頃にはすでに営業先に向かっていましたから。
江幡 始発で会社に来る。それは相当気合が入っていないと続かないものですよね。なぜそんなに頑張れたのでしょう?
藤田 僕はそんなに口がうまいほうではないので、営業も数で勝負するしかない。しかも、どうせ起業するからには少しでも早く、と思っていたので、そのチャンスをつかむためにもやれることはやっておきたい、自分への先行投資だと思ってがむしゃらに働いていました。
江幡 そのあたりのがむしゃらに働かなければ、という思いは、もしかしたら僕とも共通しているかもしれない。実は僕の家はとても小さいんだけど、会社を経営していましてね。計算してみたら、僕が35歳のときに親父は60歳になる。それで、もしも自分が会社を継ぐなんてことになったら、その時点で僕の会社員生活はジ・エンド。22歳で就職したとしても、13年しか会社員経験は積めない。だったら、年齢にとらわれず、分不相応な仕事ができる会社がいい、と思って、僕の場合、「起業」ということが最初から頭にあったわけではないんだけど、どうせなら世の中の仕組みを変えられるような大きなことをやってみたいと思って、リクルートを選びました。
江幡 僕は、ちょうどリクルートが通信自由化に伴って通信事業に力を入れ出したときに「理系枠」で採用されたんです。リクルートでは、その少し前からすでに「回線リセール」という商売をやっていたのですが、それはつまり、NTTから回線を買ってきて、小口で売るというだけのビジネスだった。
それでもリクルートには営業力があったので、売ることはできていたのだけれど、ビジネスを根本か ら見直さなければ、ということで企画されたのが「企業内内線電話サービスWATTS」。
このサービスは、企業の本支店・営業所があたかもひとつもビルの中にいるように電話ができると同時に、通信コストを大幅に削減できると言うもの。各社の社内ネットワークを共有で構築・活用していただくようなイメージです。大規模かつ重要なネットワークでしたが、立ち上げから携わり、ネットワーク設計を任されました。
江幡 新規事業でしたし、会社としても初めての分野でしたので、仕事には新人も先輩もなく、そのころはほとんど会社に寝泊りしてましたよ。
藤田 そうやって、仕事に力を注ぎ、結果を出していくと、徐々に大きな仕事が任されるようになりますからね。だから、早い時点で「できる奴だ」という認識をもってもらえたらしめたもの。僕は初年度で粗利5000万円という額を稼ぎ出し、それが結果的に次のステージを作るきっかけにつながりましたから。「社外の方に誘われ、新しい会社を始めようと思っている」ということを当時、インテリジェンスの社長だった宇野さんに告げたら、「それなら、お前が社長をやれよ」ってね。「金は俺が出してやるから」と。
江幡 自分の働いていた会社の社長にお金を出してもらえる、というのは本当に仕事ぶりが認められたということなんでしょうね。
藤田 引き止めても、聞かないと思ったから、逆に協力しようと思われたのでしょう。普通であれば、独立したいと思ったって、資金がなく、それを貯めるだけでも10年といった年月が必要なわけでしょう。それを僕の働きを認めてくれて、援助してくれるというのだからやっぱり嬉しかった。それも会社のためというより、僕が自分のために精一杯時間と労力を注いできた結果だと思うんですよね。
藤田 気持ち的には(笑)。時間的には、独立当時よりは余裕ができてきましたね。というのも、独立当初、僕は事業の根幹に何を据えるかを決めない状態で、見切り発車してしまったんです。そんな状況だからこそ、その時、一つだけ決めたことがあった。それは、「週110時間労働」。これは平日18時間、土日は12時間働くと達成できるのですが、何も仕事がない中、これだけ働くのは、本当にきつい。昼は外に出て営業、営業。そして戻ってきてもまだまだ時間がある。だから、その当時の役員1人とアルバイト2人で、ああだこうだと話し合って戦略を練っていました。そうやって足を動かし、頭を働かし……、大きな時間的な先行投資があったからこそ、今があるのじゃないかと思うのです。
今後、より良いFor Mを作っていくためにモニター調査を実施する予定です。ご協力いただける方は下のボタンをクリックして応募フォームよりご自身についてご登録下さい。

 

[ 560] 梅田望夫×まつもとゆきひろ対談「ウェブ時代をひらく新しい仕事,新しい生き方」(前編):ITpro
[引用サイト]  http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20071127/288123/

まつもとゆきひろの起こした小さな奇跡---梅田望夫氏の著書「ウェブ時代をゆく」の中の節のタイトルである。「時代の巨大な変化の中で個人がどう生きるべきか」をテーマにしたというこの本の中で,Rubyを生み「オープンソースで飯を食う」生き方を実践するまつもと氏の生き方に,梅田氏は何を見い出したのか。梅田氏とまつもと氏が,インターネットがもたらす新しい時代の新しい仕事,新しい生き方を語る。
――梅田望夫さんの新刊「ウェブ時代をゆく」には,「まつもとゆきひろの起こした小さな奇跡」という節があります。この本で何を伝えようとされ,なぜまつもとさんを紹介されたのでしょうか。
梅田 いま,インターネットの切り拓いた新しい時代というのが,我々の生き方にダイレクトに影響を及ぼしていこうとしています。時空を超えられる,いろんな人とつながれる,様々な可能性がある。それを見ないようにしている人もいるし,どっぷりと浸かっている人もいる。
そういったなかで,過去になかった生き方をしている人,エッジの立った人の生き方を見て次の時代の生き方を想像するというのかな。僕はシリコンバレーに来て13年になるんですが,シリコンバレーのビジョナリーと呼ばれる人は,Tim O'Reillyなんかもそうですが,水面に出てきたものを見てその氷山の形や大きさを想像するんです。それは外れてバカにされるかもしれないし,当たって賞賛されるかもしれない,そうしてリスクをとって未来を予想していく。
たとえば,オープンソースは,次の50年から100年というスパンで,とても大きなことになるのではないかと,数年前から思い始めています。インターネットという空間の中で,不特定多数の志向性を同じくする人たちが結びついて,金銭的な動機付けが存在しない中で,ものすごく複雑なソフトウエアが,価値が生まれる。僕はこれはとても大きなことだと思う。このことを,そうとう真剣に考えなければいけないという問題意識がある。
そんなウェブ進化の中から,どういう新しいタイプの人が出てきたかというと,本の中でも紹介しているんだけどLinus Torvaldsやまつもとゆきひろさん,将棋の里見香奈さん――里見さんもまつもとさんと同じ島根県出身なので,島根には何かあるんじゃないかと思ったりするのですが――など,こういった人たちはどういう共通点があるんだろうと考えると,好きなことと出合い,それをファースト・プライオリティにして,内からのうながしでそれに打ち込み,やり続けているところにあると思います。そういう人たちが自然に浮上してきて,なおかつ若いひとたちのあこがれの対象となっている。
アメリカにもヨーロッパにもそういう人たちはいるんだけど,特にまつもとさんは,海外ではなく日本にいる,身近な存在として若い人たちの一つのロールモデルとして意味のある大きな存在になっていると感じています。
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[ 561] 梅田望夫×まつもとゆきひろ対談「ウェブ時代をひらく新しい仕事,新しい生き方」(後編):ITpro
[引用サイト]  http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20071127/288144/

「オープンソースが成し遂げたものづくりやコミュニティのような,小さくても確実な幸福感が得られるような場所が,よりよく生きたいと思っている人たちの数だけ,ネットの上にできたらいいな」(梅田氏)。「僕が追求するのはオープンソースであるかどうかよりも,個々の技術者が幸せかどうかなんです」(まつもと氏)――梅田望夫氏とまつもとゆきひろ氏の対談,後編は新しい時代の新しい幸福とそれを実現する生き方へと話が及ぶ。
梅田 「ご飯が食べられる」の定義もいろいろありますよね。今日飯を食えればいいとか,蓄えがないといけないとか。
梅田 若い人たちと話すと,こんな豊かな国で,不安だ不安だというんですよね。「生活に不安がない」と言うときの定義もいろいろで,一生食っていけるだけの蓄えがないと不安だとか,未来もずっと見通せてないと不安だとか贅沢なことを言い続けるのであれば,永遠に幸福は訪れない。
まつもと 僕が事故で入院しても,とうぶんは子供が「おなかすいたよお」って泣かないですむことですね。数カ月分の貯金があれば。
梅田 オープンソースで成功しているリーダーの人たちって,そういう「幸せがぶれない」という共通点があるのかな。
梅田 僕は,そういうオープンソースのリーダーたちの価値観,「お金より,やりたいことをやることが大切」というぶれない価値観の持ち主がすごく大きなことを成し遂げだした,そのことを勝手に拡大解釈してみたいっていう気持ちがあるんですよ。それがこの本(「ウェブ時代をゆく」[ちくま新書])を書くモチベーションの一つになりました。
そのことをこれからの世界における先駆者的象徴と見たい。そういったことがオープンソース以外の違う分野にもこれから起きていくんじゃないか。ソフトウエアをみんなで開発するというのと同じように,違うタイプのものづくりであったり,あるいは作らなくても,たまり場みたいなコミュニティ,師と弟子が出会う学校のような場所だとか,小さくても確実な幸福感が得られるような場所が,よりよく生きたいと思っている人たちの数だけ,ネットの上にできたらいいなと。「小確幸」(小さくても確実な幸せ)っていうのは村上春樹さんの言葉なんだけど,僕はそんなことが実現できるネット上の世界を夢想します。
そうしてそれが社会的貢献度の高い,意味のあるコミュニティになったら,まつもとさんのような「飯の食い方」ができるような人が増えてくるんじゃないか。そういう未来っていうのを思いたい,っていう気持ちが強いんですね。
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