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[ 46] スラッシュドット・ジャパン | freemail、来年1月をもってメールサービス終了
[引用サイト]  http://slashdot.jp/articles/06/10/27/0740221.shtml

STRing曰く、"ソフトバンクテレコム株式会社は 2007年1月31日をもって無料メールサービス「freemail」を終了 することを発表しました。送受信メールに広告が付かず、 POP/SMTP 経由で MUA から利用でき、メールアドレスも長いながら判りやすいと過去の同時期のサービスに比べると利点が多かった本サービスですが、アカウント宛に届くダイレクトメールに掲載された広告からの収益でサービスを提供するはずが弾いているわけでもないのに全く来なかったりとなかなか不思議な状態でした。最近では新規募集も終了しており、いつサービス終了するかと危ぶんでいた人も多いのではないでしょうか?
gmail などアグレッシブなサービスの出現で移行した方も多いと思いますが、終末の日までに身支度を調えることをおすすめします。"
但し書き: コメントはそれぞれ投稿した人のものです。決してわたしたちが責任を負うものではありません。
オフィシャルなDMすらほとんど来ないという商売する気あるのかと思うぐらい、利用者にはいいサービスでこれをきっかけに平成電電の事も知った訳ですが…長らく使っていた分、メールアドレス変更するのには、十分な時間を与えられている分、マシですけど、サービスを丸ごと終わらせるよりは、このメアドを転送するだけのサービスに徹して、広告収入で稼げばと思うんだけど…だた、同様に無料で使えたFREECOMもFREEMAIL同様サービス終了 [freecom.ne.jp]ですか。こっちの方が先かと思ってたのに…ただ、日本テレコムに譲渡されたと通知があった時には、平成電電と裁判沙汰起こしたソフトバンクに結果的にはねぇ…と、ちょいと内部事情知る事のできた立場だったので、しみじみ思います。まぁ、平成電電があんな事になって、事業継続させるのはどうするのと思ってたけど、譲渡先がよりによって、日本テレコム(今月からソフトバンクテレコム)って時点で、悪寒はしました。これをきっかけに、メーラーもAL-Mailから他の奴に移行しようかな。GMailに対応できないんじゃ、どうしようもないし。#SSL対応する気配が無いしなぁ…
サービス終了のメールを昨日の夜に受け取ってから,変更手続きをしたけど,本当に誇張抜きで死ぬほど面倒ですよ。あなたがどの程度ネットのサービスを利用していたか分かりませんが,ML,MM,通販なども含めたIDの必要なサイトの登録情報……とにかく大変です。4時間くらいかかりました。
ついでだからとそれぞれのサイトのパスワード変更までしたのも大変だった理由ですが,こんなことでもないとパスワード変更なんてしないのでいいきっかけにはなりました。
あと,メールアドレス変更手続きにも使い勝手の良いものと悪いものがあって,それらのユーザビリティのレビューをしているような気分になりました。
以下はオフトピです。上から順によかったもの。ネット探せば似たような感想がたくさん転がってるとは思いますが。
変更確認があるもの。変更後のアドレスに送られたメールのURLをクリックして変更手続きを完了させてくださいって奴。たくさんあるとこれさえもめんどくさい。
MM登録するだけなのに個人情報を要求する奴。また,かつては個人情報を収集してなかったけど,あとから収集するようになり,アドレス変更時にも個人情報要求する奴などは最悪。なんでMM読むのに住所まで教えないと以下略

 

[ 47] 猫を償うに猫をもってせよ
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/

ハムレットは死ぬ間際にホレーショに、生き延びてことの真実を伝えてくれ、と頼む。「さもないと、私の汚名が後世に残ってしまう」。
この世界では、父王ハムレットは亡霊になるから、ハムレットは亡霊として自分の死後の世界を知ることができるが、現実には亡霊は存在せず、死んでしまったハムレットは、どのような汚名が流布されようと、それに苦しむことはない。
だから私が、「もし自分が理不尽に殺されたら、殺人犯を死刑にしてほしい」と言ったとしても、宮崎哲弥氏は動じないだろう。「死んだあなたは、殺人者がどうなったか絶対に知ることはできず、それは何らあなたの報復感情を満たすことはない。あなたがそのように言うのは、死後の世界というものを想定しているからだ」と言うだろう。
宮崎氏は、藤井誠二との対談本で、死刑制度に基本的に反対だと述べているが、それは世間のいわゆる死刑廃止論者とは全然違うとも言っている。現在の権力は「生かす権力」になってきており、死刑廃止論者たちは権力の走狗になっているという池田清彦の言葉を引いている。また同氏は呉智英氏の仇討ち復活案を引き継いだ仇討ち制度について私案を出したこともあるが、これは国家が取り押さえた犯人に対する遺族による処刑案だから、矛盾しないかどうか疑問は残る。また藤井氏との対談では、死刑を秘密裡に行わず、前もって予告し、公表することを提案し、それができないなら死刑は廃止すべきだとも言っている。このうち一部は鳩山法相によって実施されている。それらを考え合わせると、『論座』での川端幹人との対談で、ごく簡単に、死刑反対論だと言っているのは、また誤解を招く恐れもあるが、まあ、断片的にものを言うのが宮崎氏のいつもの手法で、その根底には冒頭に記したような、死後の世界は存在しないという信念がある以上、私と論争しても行き着くところは見えているとも言える。
しかし今のような、終身禁固刑をもって代替するという案は、まさに「生かす権力」になってしまうわけだが、ただ実際、それを実行すると、二十年くらいたって、「生涯牢獄にいると考えると耐えられない」などと言い出す終身禁固者が現れて、それを報道するジャーナリストが出てきて、しかしまさか今さら死刑にはできず(できないと分かっているから言う)、そしてむろんその受刑者は十分に悔悟しているという演技をして、仮釈放運動が盛り上がる、というようなことになるのではないかと、私は思うがね。
「恋愛という言葉は江戸時代にはなかったんです。恋といって、必ず性的な感心、性的な関わりがある」
『諺紫田舎源氏』にちゃんと異性へのそれも「まことに愛したまふにあらず」とあります。目下の者への感情であったのは確かだが、子供とは限らぬ。
ああもう駄目。「曽根崎心中」なんて一回上演されただけで再演されなかったし、「好色一代男」はベストセラーじゃないし、西鶴は江戸時代きってのベストセラー作家なんかじゃないし(浮世草子なら八文字屋のほうが売れたし、だいいち「売って」ないし、一番読まれたのは馬琴だし)、痴呆者の天国的番組だ。
こないだから『仮面の忍者赤影』のDVDを観ている。オープニングの歌に「どんな顔だか知らないが」とあるが、子供の頃、赤影が仮面をとっていた記憶があったのだが、観ていると、とっているどころではない。戦闘に当たって赤影に変身すると言ってもいいくらい、しょっちゅう素面を見せている。まあ主題歌などというのは、本編作成以前に作られるから、こういうことも多い。
ジェローム・K・ジェロームの『ボートの三人男』を読みかけたら、いかにも英国人風の、さあおもしろいだろうおかしいだろうと言いたげでしかしちっとも面白くないギャグの連続で嫌になってやめてしまった。フラン・オブライエンもそうだが、英国ユーモアというのは、いくら日本人が西洋化したって面白いものではないし、ああいうのが面白がれるためには、腹の底から英国人か何かになっていなければムリだろう。よく版を重ねているものだ。
水谷三公という人は「江戸幻想派」かなあ、とちらりと思ったことがあるのだが、まあさして影響力もなさそうだし、放置しておいたのだが、四月号の『中央公論』で「皇室典範検討は喫緊の課題 皇室存続の危機を直視しよう」なんて対談をやっていたので、ちと驚いた。しかも水谷は、天皇制は民主主義と矛盾しない、などと当たり前のことを言っている。小林よしのりは『わしズム』の天皇制特集で、天皇制は民主主義という危うい制度の抑止力になると言っていたが、これは明らかに小林の間違い。立憲君主制が民主主義と矛盾しないなんてのは当たり前のことで、そうじゃなくて天皇制は人権思想と矛盾するのである。政治学者なのにその程度のことも分からないか、あるいは知らないふりをしているわけで、水谷って人、やはり曲学阿世か、と思いにけり〜。
『蟹工船』が売れているとかで話題になっている。大変気持ち悪い。第一に、火付け役が雨宮処凛というところが胡散臭い。雨宮は「元右翼」と言っているが、「左翼」になったという気が私にはしない。だって尊皇家の佐藤優と対談しているんだもの。貧乏で大変と言いつつ最後は天皇陛下にお縋りするような気がしてならぬのである。
毎日新聞の記事では赤木智弘も出ていたが、これまた胡散臭い。だいたい2.26事件というのは、東北の飢饉による貧困の広がりの中で、中産階級と政党・企業を中心とする政治に不満を抱いた青年将校らによって起こされたものであり、現に戦争が始まれば経済は一時的にであれ好転するのである。
安西徹雄先生が亡くなった。もう五年以上前になるだろうか、ネット上で私のエッセイを公開して金をとるみたいなプロジェクトに誘う電話が掛かってきて、安西先生の訳したシェイクスピアなんかもやる、というので、どうしたものかと面識もない安西氏に電話してお尋ねしたら、話は来ていますが決まったわけではないです、とのことで、数日後さらにお葉書が来て、あまり係わり合いにならないほうが、と書いてあった。いい人から先に死ぬものである。
『サンデー毎日』で池内紀先生が、今泉みね子の『クルマのない生活』の書評に事寄せて、エコロジストを名乗りつつ平然と自動車を使う連中を揶揄していた。さすがである。どうせ大広告主に配慮してだろうが、『それでもクルマに乗るための100の知恵』なんという本を出す朝日新聞出版は爪の垢でも煎じて呑むがよい。死刑廃止論者は、それほど人命が大切だというなら、自動車をこの世からなくすよう訴えたらどうか。
久しぶりに正体不明君から誤字の指摘を受けた。残念ながら『リアリズムの擁護』は、愕然とするほどの小部数しか出ていないので、多分直せない。
誤用というほどに目くじらたてるほどのものではないと判断します。ただ、実名の人が何か言ってきたらもう少し丁寧に答えます。
栃木県のサラリーマン殺しの犯人が出所してくるのに周辺住人は怯えている、という話から出ているのだから、すぐ分かるでしょう。森達也が実行したら教えてもらいたいものだ。
日米安保に賛成しているというより、憲法九条を改正して安保を双務的なものにすべきだと考えている。
そりゃテレビに出た人の話でしょう。私は刑務所にいる奴から明らかに気の狂った手紙を貰ったことがあるよ。
しかし書き下ろしで入れた二編は、要するに載せてくれる雑誌がないから書き下ろしで入れたわけで、実際には素材が生煮えであり、本来はここからいくつもの短編を切り出すか、長編に仕立てることのできるはずのものである。今後の課題としたい。
それから、やはり書き下ろしということで、迷いが見え、推敲が足りない。自分で読んでいて笑ってしまうくらい足りない。もし、「これで完成型である。オッケーであるから、推敲せよ」と言われたら、もっときちんとやっただろう。まあ躓くのも小説のあり方の一つではあるが、それ以前の問題ともいうべきてにをはのおかしさが目に付く。
先月の『論座』で、大西巨人が笙野頼子の「論争」について応援するような文章を書いていたので、私は自分がいかに笙野から理不尽な罵詈讒謗を浴びているか、資料を添えて手紙を送った。ほどなく「啓蒙的なものお礼、これから考えます」(大意)という葉書が来た。とはいえ、巨人が本当に笙野の文章を読んでいたとすれば、私は『評論家入門』で書いたことを撤回しなければなるまい。山崎行太郎の文章の下品さに呆れ果ててもう相手をしないことにしたのだろう、と私は書いたが、山崎以上に下品な笙野の論争を応援するのでは、そういうことでもないようだ。見損なったよ、大西巨人。
田中和生への応対もひどいもので、だいたい『三田文学』の加藤編集長は、こんなものは載せられない、書き直してくれ、と突っぱねれば良かったのだよ。もちろんこの件では田中が正しい。ただ一つ間違っているのは、「笙野を批判しようというのではない」という箇所で、笙野をこそ批判すべきであり、また笙野のそういう恫喝的罵詈雑言を活字にしてしまう編集者をこそ批判すべきだった。私は加藤編集長に、なら私にも笙野への抗議文を載せさせてくれ、と言ったのだが、これ以上笙野の返答で誌面を汚したくないとのことで断られた。しかし、ならば笙野の回答など、回答になっていないといって拒否すればいいではないか、巽の圧力でもかかっているのか、と問うたら、巽教授は何も言ってきていない、と言い、田中の文章は「尋ねる」だったから載せないわけにはいかなかった、という。そこで、私は返答など求めないから載せてくれ、と言ったが、以後返事はない。だいたい笙野は自分が誹謗中傷を行っているくせに、自分が誹謗中傷されていると言い、自分ではあからさまに「純文学系女性(時には男性)作家」には媚びへつらい、中沢けいには文句があっても何も言えないくせに、田中が群像新人賞選考委員になってから言い出したなどとあげつらうのは、まったく呆れ果てた二重基準である。
私は近所の区立図書館で予約しておいて見に行くという日々なのだが、先日、15冊くらい予約しておいたら、出してきた図書館員が「ああ・・・多いですねえ・・・二週間ですが大丈夫ですかぁ」などと呟くように言った。この図書館員には、「本」というのは「読む」ものとして認識されていて「調べる」ための本という概念がないんだなあと思った。何しろ閲覧のための予約というのがないから、全部借り出して図書館内で見て、必要なところはコピーをとり、必要な情報がない本はすぐ返すのだ。

 

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